宣言通り、あと2回で振り返りを終えたいと思います。今回のテーマは
twitterです。
僕が
鬱病を患った経緯を以前お話しましたが、僕の努力の一つとして
「オフ会」をすることで人と会うという方針を立てた時期がありました。
そう、僕は
過去に色んな人と会ってきたし、ある程度手慣れてる。僕の特異なキャラクターは、ドン引きする人も多いけど
ハマれば強烈に強いことは歴史が証明している。
こういう、0から関係を持つには、僕のようなキャラクターはある種合致していると確信していた。百人に好かれるより、一人に面白がられるキャラクター。
僕は、そういう自分の特色を悪用し、出会い厨になることにした。僕は人と会いたい。僕は人と飲みたい。誰かに僕の話を聞いてほしい。
そう思って、ほぼ冬眠状態だったアカウントを再始動した・・・・・・というわけです。
こう、うまく歴史が繋がってると、人生って見てて面白いよなって思いません?(笑)
話はだいぶ戻るのですが、僕は昔ツイ廃でした。これで驚くべきは
フォロー数が20とかそこらなんですよ。
ほんとに、独り言の吐き散らし場として使っていた記憶があります。過去のツイートはあまり読み返したくありませんが、まぁ・・・・・・昔は人間的に器が小さかったので、オケの愚痴とか、普通につぶやいてたっけな。全部お前のコミュ力の低さが問題なんだけどな・・・・・・(笑)
ただ、見てて面白いのは
彼女が出来た2013年11月から明らかにつぶやきが減ってるのがほんと露骨でウケますね笑
そしてこういう遍歴を辿るわけです。
彼女と別れ、行き場をなくした感情がtwitterに若干流れ、月々のツイートが2桁台にまで復活しましたが、まだこの時はリアル用アカウントの方がメインだった気がします。
ただ、僕が段々と鬱々としてきて、その感情がどうにも隠せなくなってきて、つぶやいてはツイ消しし・・・・・・を繰り返していました。それが2月ぐらいだったかな。つぶやきも増えてきています。
でもまぁ、ちょっとは心配して欲しいなぁーみたいな感情もあったんですが、次第に
僕の味方は誰もいないんだよなぁ・・・・・・みたいな感情に支配されるようになりましたね。鬱病患者の特徴だとも言われますけど。
そして3月になり
僕は今のアカウントを再始動させることを決意し、ツイート数も爆発的に増加しています。冒頭に述べた、人と会うためにtwitterを使う、という手段に出た瞬間ですね。
twitterの何がいいかって
相手に負担を強いずに僕自身を発信できるということにあります。そして、僕のつぶやきを見て、興味を持ってくれれば、リプも好意的になるだろうし、向こうもリプを送ってくれるだろうと。
そういう、会話での手探りを、会話することなくできるのがtwitterの良いところだと思います。僕のことをウザいと思うのならミュートなりフォロー解除なりしてくれると思いますしね。
ま、そういう経緯で僕はtwitterと使っているわけです。そしてそんな僕の思惑は見事に一致しているのか、色んなチャンスを得ることができましたね。メモリアルだってそうだし。
ただ一方で、実は
僕の性格とキャラクター、そしてtwitterの文化はあまり噛み合ってないという現実もあります。
僕はどうも非常に傷つきやすい性格で、だから語尾に「(笑)」を付けるなどして、なるべく誤解を生まないようにしています。
人に嫌われることも、慣れてるといえば慣れてるのですが、そんな気持ち良いものでもないです。ただ、安全を取ろうとすると、僕はコミュ障なので何も喋れなくなるし、何の面白みもない人間になってしまいます。
それに、僕は急アクセルで人に接近して、強引に距離を詰めるやり方に慣れてしまった。僕は他にどういう方法で人と仲良くなれるのか、わからなくなっている。
そう、それが受け付けない人もいる。だいたい半分ぐらいは上手くいくけど、半分は僕のことを苦手に思ってるのは知っている。
でも、僕は、相手が自分のことをどう思ってるか分からない人間が一番苦手だから、僕はその逆になろうと努力してる。でも、皆はそうでないように思われる感覚によく襲われ、僕は自信をなくすことがとても多いのだ。
自分に自信がなければやめればいいのにね・・・・・・(笑)
そう、心の壁を作らないために、このキャラクターにしているのに、僕自身は相手を怖がっているという矛盾を未だに乗り越えられないままである。
まぁ、それだけならまだ良いのだ。一番問題なのは
自分は平気で人に突進してくる癖に、棘にぶつかると一気に勢いをなくすということである。
僕はかなーーーーり繊細な部類の人間だと思う。自分が傷つくのを一番恐れるタイプなんじゃないかなって最近よく思う。自分が心を開くのも、相手の心を開いて自分が安心したいからなんだろう、きっと。
twitterは割と短い文でポンポンとやり取りをするツールであるため、自分と"文体が違う"人とのやり取りだと、傷ついてしまうことが頻繁にある。
この人は、僕に対して何言ってもいいと思っているんだろうか・・・・・・とね。
そう仕向けさせたのは僕自身だし、僕自身の才能でもあると思ってる。
でも・・・・・・何言ってもいいというのは、超えちゃいけないラインというものがある。でも、それを平気で超えてくる人は、割とたくさんいるし、僕自身も「"その人の"超えちゃいけないライン」を平気で超えちゃうタイプの人間なんだと思うしね。
まぁ、人間関係のねじれなんて、そーいう"違和感"から発生するものですし、それはそうと受け入れる他ないとは思ってる。
この人には悪気はないんだ・・・・・・と、強引に自分を納得させるのもアリだし、この人とは楽しく会話できなさそう・・・・・・と、距離を置くのもアリだと思う。
理想を言えば「自然体でいてもしんどくない人」を選んで付き合っていくことなんだけど、そーいう選り好みはどうなんだ・・・・・・と、僕自身、自身の価値観との矛盾を感じて悩むことも多い。
僕の理想は一体どういう人間になることなのか、僕自身も未だに結論が出ていない。僕は優しい人になりたいのに、その理想に近づこうとすると自分が悲しい気持ちになることが増え、やっぱり僕は人間的に棘があるんだろうなぁと嫌な気持ちになってしまう。
まぁ、実生活でも同じことなんだけどね。ほんとはこの人、僕のことそんな好きじゃないんじゃないだろうか・・・・・・と思うことも多い。
実際、僕みたいなタイプが自身の近くにいないから、僕が人からどう見られてるのか、実は全然想像できない。でも、僕は今の僕が「個性」を持っているんだ、と、目をつむることにしている。人が持っていないものを、わざわざ手放す理由がないからね。(笑)
それに、僕自身は
「自分の身近に一番居て欲しかった人」になろうと意識してるのだ。僕は、こういう友達が欲しいのだ。だから、類を呼ぶために、自分もそうなろうとするのだ。そう、僕は、僕の理想の人間に、ほんとはなりたいのだ。
最近思うのは、
僕にtwitterってあんま向いてないんじゃないだろうかという気持ちである。
実際、言うほど自分が興味持たれている気はしなくなってきた。きっとみんな僕のこと、あんまり好きじゃないんだろーな的な。
完全に鬱病症状を引きずってますね
そう、僕は典型的な「自分に自信がないタイプ」なんですね。いや、察するところがあるからそう現実として直視し始めたというか。
まぁ、それでも、この日記を読んでくれてるなんて話を聞くと、
「あ、この人は僕が何を考えてるかに興味があるんだ・・・・・・」と安心しちゃったりするあたり、ほんと僕の心は弱いんだなぁと思ったり。
ほんとは、そんな負の感情を無視して、俺は俺だ!と強く言えるようになりたいし、お前は俺のことが好きじゃないかも知れないが、俺はお前が好きだ!!!と言えるようにもなりたいわけだ。
・・・・・・そうなれないのは、きっと今、僕の持ってるつながりが少なすぎるから躊躇しているだけなのかも知れないね。
4月からは、知り合いが比較すると爆発的に増えると思う。同期だけでも30人弱いるそうだしね。先輩とかとのつながりもできるだろう。その「数の安心感」が僕に芽生えたら、自分を取り戻すことができるんだろうかね・・・・・・。わからないけど。
個性を大事にするのもいいけど、もう社会人になるわけですし、これを区切りとして、twitter含め、もう少し「個性」と距離を置いた方がいいかなぁと、最近思うようにはなってる。
特にtwitterから入った人なんかは、僕を
ただのクレイジーな変態だと思ってる節が強く、それで得られるはずだったつながりが失われるのも勿体無いかなぁみたいな。
ほんとの僕は、妙に繊細で、ただのキャラ付けでちょっとした自分の本心をチラ見せしてるだけの、臆病な人間なんだけどね・・・・・・(笑)
twitterをやっていると、僕は一体どんなスタンスでこれから人間と接していけばいいのか、分からなくなることがとてもとても多い。
理屈ではわかっている。
おそらく僕はこのままで居た方が結果的に良いだろうと。強烈な個性を見せつけて、人に興味を持たせて、関係を深めていく、このやり方はきっと僕にとってベストだし、人と仲良くなるためのスピードもめちゃくちゃ早いのだ。
僕にはそれができる。人に距離を置かれるスピードも早いけど、僕自身にその気があれば、すぐに仲良くなれているつもりなんだ・・・・・・まぁ、最終的に
あっこの子はもしかすると僕のことちょっと苦手だと思ってるかも!?と僕が勝手に警戒するパターン多いんだけど笑
でも、やっぱ、そもそも僕は人と仲良くなることに向いていないのかなぁみたいな気持ちになることも多くてね。
ここ1年で自分の人格が歪んでしまったこともあり、僕がもともとどういう人間だったかもよくわからなくなり、結果twitterでの人格に自分の人格が支配されつつある感覚すら覚える。9月頃とかほんとそんな感じだったんだけど、未だに僕は自分がどう人と接するべきか迷ったままでいるわけだ・・・・・・。
きっと、今の僕は人間的な繋がりがなさすぎて、寂しさを思い出したくなくて、失うことを恐れているだけなのだろうな。
昔はよく絡んでいたけど今はそんな絡まなくなった人も多くなった。そういう現場を実感すると、きっと僕はこの人からはそんな気に入られてないな、失敗しちゃった、と、本来一人の親友を見つけるために解放したキャラクターのせいで、自分自身を傷つける矛盾を抱え込むことがあってだな。
僕は一体何がしたいのだろうね。やめときゃいいのにね。
僕のtwitterは、そういう、僕の人格の困惑が、そのまま出ちゃっているコンテンツでもあるよーな気がするね。
相手の顔が見えない分、相手と満足にコンタクトが取れない分、僕は余計に奥手になってしまう。
僕は自分を解放しようと、心を開こうと、積極的にコンタクトを取ろうとしたかと思えば、もしかしたら引かれているかも知れないと余計な心配をして、急に控えめな態度を取ってみたり。
自分にとって何がベストなのか、未だに見つけられないままでいる。やっぱり僕は、大人しくしておくべきなのだろうか・・・・・・。
でも、僕の心の声をそのまま出すとああなるわけで、実際仲良くなるには、本性を包み隠さない状態に持っていけないと意味がないわけで・・・・・・。
ただ少なくとも、僕はもう少し違った「個性」を対外的にはアピールすべきなんじゃないかと察してはいる。
来年度からどんなつぶやきをしようか、僕は未だに思い悩んでいる・・・・・・。