一応、このシリーズは全15回を予定してて、残り2回は
「twitter」と
「日記」の話を取り上げて締めたいと思ってます。これで僕が過ごした25年弱の学生時代の中で起こった主要な出来事は全て拾えることになるんじゃないかなって思います。
最後の方は時系列順で振り返ろうかなってことで、まずはtwitterの話につながる、僕の鬱病時代のことを振り返ってみたいなって思います。
僕は、記憶に残っている限り5月~6月、あるいはそのちょっと先ぐらいまで鬱病と思われる症状を患っていました。
具体的な症状なんかは当時の記事を見れば断片的に書かれていると思いますが、頭痛だったり、夜の寝る前に来る胸のざわつきだったり、常に泣きそうになってたり、気分がずっと落ち込んでたり。
なんでそうなったかっていうと、純粋に僕は孤独だった。
・・・・・・とりあえず、時系列順に振り返ってみようか。
もともとのキッカケは、
僕が彼女と別れたことだった。
その理由が、個人的な事情でオケの人には言いたくない理由だったので、僕はこの感情を一人で抱え込むことになった。
まぁ・・・・・・それは、良いのだ。
問題だったのは、誰かに打ち明けて味方になって欲しいな・・・・・・って思った時、僕にはそのツテが、誰もいなかったのだ。
そう、僕は大学オケ以外に、友人が居なかったのだ。バイトもしていなかったし、外部のオケにも乗っていなかった。学部の友人も留年を機に遠くなっていた。
一番問題だったのは、
研究室に人がいなかったということだった。
まぁ・・・・・・、別に、感情を一人で抱え込むなんて生きてりゃ誰にだってあることだ。泣き言を言ってても仕方ない。
秘め事として、僕はずっと、一人で悩むことにした。何がだめだったのか、どうしてだめだったのか、これから僕はどうしたらいいのか。
しかし、僕は気づいてしまった。
時々、それでも人に相談したいなーって思うこともあるし、この話を人にしたら、みんなどういう反応をするんだろう?って気にはなっていた。
そこで、想像してしまったのだ。僕が彼女と別れたキッカケを話したとして、みんなどんな反応するのかなって。
前にも言ったけど、僕は
オケの人とあまり上手くコミュニケーションを取れてなかった。
だから、たぶん、僕と彼女だったら、みんな彼女の方を愛してると思うんだ。別にヒロイックな気持ちになってるわけでもないんだけど、僕に同情してくれる人って、いないんじゃないかって思ってしまった。
それはとても寂しいことだった。もちろん、僕が悪いことは知ってる。悪いのは全部僕だ。コミュ障な僕が悪いし、全部自分に返ってきただけだ。それはいいんだ。
・・・・・・でも、僕はどこにも助けてと手を伸ばすことができなかった。
僕にはオケ以外の居場所がない。研究室には、先輩も、同期も、後輩も、誰もいない。いないものには手を伸ばせない。
僕には友達がいない。悲しんでいる時に、話を聞いてくれる人がいない。誰も僕の味方になってくれない。寂しい。
後輩も、徐々に僕と距離を置くようになった。まぁ、各々に色々な理由があるんだろうし、僕の勘違いかも知れない。
でも、僕の人格もちょっと歪みを見せつつあり、皆から嫌われているような気がしていた。僕は皆にいい影響を与えなかったし、何もしてやれなかったのは事実だ。あまり好かれてはない気がしてきた。
その結果、僕の周りには、人がいなくなった。
誰とも喋らない毎日が続くようになった。誰とも会わず、誰とも話さず、何も変わらない毎日が。
別に、悩み事を相談できないことなんて、実はそんな問題じゃなかった。
僕はその毎日が続くことで、徐々にストレスを感じるようになった。
「なにか喋りたい。世間話がしたい。」と。
彼女とのあれこれに関しては、自分の中でも整理が付き始めた。
僕は、
誠意を込めれば良いとばかり思っていたが、真に重視すべきは
いかに恋人の幸せを最優先して考えるかという当たり前のことだったということに気づいた。
僕は彼女のために命を落とす覚悟があったのか。自分を犠牲にしてでも、彼女を幸せにしようとしたか。そういった覚悟がなかったから、上手く行かなかったし、彼女は彼女なりの幸せの形を目指すようになったのだ。
そう、結論が出たはずなのに、ずっと胸がもやもやしていたのは、真に僕が抱えていた問題が
「孤独」であったことに起因していたのだ。
最初は、我慢しようとした。別に彼女が出来るまでそんなに現状変わんなかったじゃん。人と喋らない日なんてしょっちゅうあったじゃん。
それでも徐々に辛くなっていった。楽しくない。喋りたい・・・・・・。
確かに、現役時代も進んで人とコミュニケーションなんて取ろうとはしなかったけど、サークルの活動日とか誰かしらと話すし、個人練してて疲れたら人と喋るとか、普通にやってた。
でも、今はそれがない。同期はみんな研究室だし、話せる後輩も段々減っていく。そもそも、そんな練習熱心な後輩自体いない。OBである僕が一番練習してると言われる始末だったからな。
仕方ないから、暇そうな後輩を飲みに誘って喋ったりした。
それでも、心は晴れなかった。僕は話したいだけじゃなかったのか。どうしてこうも寂しいのか。
僕はそこで、自分の感情に気づいた。
僕は「友達」が欲しいと。
この友達は、「"日常"に溶け込み、特に意識せずとも話せる対象」という意味である。いつでも会えて、いつでも話せる。僕がかつて持っていたものだ。
何か嬉しいことがあった時、話せる人が欲しいのだ。昨日飲みに行ってさーと、そんなくだらない話が、ほんとはしたいんだ。
研究室には人がいない。だから、僕は外部で何か探さなくてはいけない。
それからは、色々やってみた。
Google Adwordsで友達を募集し始めたり、
twitterで会える友達ができないか探してみたり、
実況動画で界隈の人と接点を持てないかと考えたり、
パーティに行ったり・・・・・・。
他にもオケに所属してみたり、バイトに応募してみたり、インターンを目論んでみたり、努力はしたつもりです。
そう、努力はした。努力はしたつもりなんだ。
でも、どれも上手く行かなかった。いや、「知り合い」は作れたんだが、「日常的な友達」は作れなかったし、作れないことに気づき始めた。
唯一上手く行ったかなって思う
メモリアルへの参加も、やっぱりそれは日常的に会える友達ではないかなって。みんなこと好きだけどさ。僕が一番欲しいのは、やっぱり職場の同期だったり、バイト仲間だったり、端的に言うならば
別に誘ったりしなくても会える間柄であることに気づいた。
バイトも、時間的な制約がつきまとい、通らなかった。いや、当時はまだまだ練習したかったから、あまり必死に探さなかったのも悪いかも知れないけど。
オケにも所属した。でも、やっぱり2週間に1回会うような間柄は、僕が求めるものではなかった。
それに、オケというものは、自由に話せる時間が少なすぎる。僕はもっと、じっくり話したいのに。
それでも、僕は2年間我慢すれば、なんとかなると信じてた。就職しさえすれば、この忌々しい研究室から解放されれば、僕はまた人間的な生活が送れる。そう信じて、頑張るつもりだった。
でも、毎日迫りくる寂しさを、どう紛らわしたらいいか、僕には分からなかった。
それからは、僕の感情の波の振れ幅は大きくなって行った。大きく落ち込んで、必死にそれを誤魔化す解決策を考え、パラダイムシフトして乗り越えるが、結局根本的な問題は解決してないから、精神がまた限界を迎え、その度に、その場しのぎの価値観を練り上げていく・・・・・・。
また、研究も、好きじゃなかった。
もともと、自分のやりたい分野じゃなかった。僕はコンピュータをやりたくて、この学科に入ったのに、なんで言語学をやっているんだろう。
学問自体にも矛盾を感じ、何もわからないからテキトーに進める他なく、つまらない。
周りに教えてくれる人はいないから、なんとなくやるけど、そんなのは研究の正しい姿じゃないし。
そして何よりも、研究に関して雑談ができる相手がいないのが、ただひたすらにつまらなかった。
僕は一体何のために研究をやっているのかも分からなくなったし、何が楽しいかもわからなくなっていた。
徐々に、僕は自分の精神の衰弱を感じるようになった。
普通に生きてても、無限に悲しさが湧いてくる。生きる気力が湧いてこない。バイクに乗ってても、トラックが突っ込んできて死ねないかなと考えていた。
自殺も考えた。正直、死にたかった。でも、死んだらその後の処理を親に押し付けることになるし、その負債額を考えたら、気が気でなかった。
それに、僕の人生が終わったわけじゃない。2年、たったの2年我慢すればまだ未来はあるはずなんだ。今さえ乗り越えることができれば・・・・・・。
でも、自殺衝動は迫り来るし、頭は痛いし、毎晩寂しくて胸がざわついて精神が錯乱しそうになって、ちょっとでも感情を揺さぶられたら泣いちゃう。
やたらと感動するようになったし、笑いかけてくる二次元美少女のイラストとか、感動的な物語を見ると、涙腺が崩壊して、癒やされて嬉し泣きしてしまう。僕にもこんな綺麗な世界があったらな。
普通に過ごしてても目が痛いんだ。目の奥がずきずきと痛む。泣きたい。誰かに泣きついてわんわん泣きたい。でも、僕には誰もそんな甘えられる存在がいない。僕の味方なんて誰もいないし、僕がこうやって悲しんでても、誰も気にも留めてくれないことは知ってた。
その事実が、さらに僕の精神を痛めつける。僕は頑張ろうと毎日、植物のように生きるが、それでも寂しくて。つらくて。誰かと喋りたくて。そう、喋るだけでいいんだ。喋る相手さえいてくれれば・・・・・・。
そんな些細な望みずら手に入れない自分の現状がひたすら悲しくて。泣きそうになって。
twitterを通じて何人かの人とお会いしたけど、それでもやっぱりそれは「日常」ではないし、その喜びを共有できる相手がいなかった。
会えたのは、とても嬉しかった。でも、その嬉しかった、って話を、僕は誰かにしたかったんだ。悲しみだけでなく、喜びの感情の行き先すら、僕は持っていなかった。
そうやって蓄積される感情が、僕を追い詰めていった。
そんな生活を続けてるうち、僕の心は
とある夜、ついに限界を迎えてしまった。
自宅の椅子に座って、いつものように過ごしてて、いつものように胸がざわざわして。こんな生活をあと1年半以上続けなくてはいけないのかと思うと、それを想像するだけで辛かった。
そこで、僕は確信した。
僕はもうダメだと。このままでは自分が完全に壊れてしまう。絶対に耐えられない。
当時の自分が
「自分の精神が壊れる音が聞こえてきた」と書き残しているが、まさにそうであった。もう、壊れる寸前だった。
そこで、一刻も早くこの現状を抜け出そうと、院を中退して就職活動を始めることになるんですね。
そこから自分の症状は徐々に軽快を見せてきた。まぁ、それでも寂しかったけど。でも、少なくとも研究というストレス源から解放されて、僕はちょっとは落ち着いた。
内定を得て、すぐに就職するかどうかの選択を迫られ迷ったけど、僕が一番欲しいのは「同期」だったから、4月までは我慢しようと決めた。今いなくて辛いのが友達だから、やっぱり同期は絶対に居ないと、寂しくなりそうだったからね。
それからは、主にメモリアルを通じて、色々人脈形成できて、ちょっとは日々が楽しくなったけどね。
それでも、人と喋らない時間が長すぎて、僕は人との接し方が分からなくなってて、割と最初はすごい変な感じだったと思う。皆と仲良くなろうと、必死で。皆の目にはどう映ったんだろうね。あ、好みのタイプも歪んだっけね(笑)
今は、笑い話にしようとしてるけど、いつかこんな僕の過去の話にも同情してくれるような、そんな素敵な人と巡り合えたらいいなぁと、楽観的に見ることができるようになってきた。
そして、僕自身も、近くに心が辛い人がいたら、傍に寄り添えたらなぁと、思っている。
もちろん、お節介はかけられないことは知ってる。僕自身が病んだ時も、赤の他人にはどうしても手を伸ばせなかったし、話してラクになるイメージが持てなかったしね。
それでも、僕は進んで、なるべくみんなの「友達」でいようと努力することにした。
この人には、何言っても大丈夫そうだなって、そう思ってもらえるような存在になろうと意識はしてる。
ちょっとでも精神的な壁を取っ払って、辛い時に、この人なら甘えても許されるんじゃないかって、そう思ってもらえるような人間に、なれたらなぁと思っている。
自分がそういう存在を持ってないから、これが正解なのかどうかは分からないし、きっと不正解な気がする。
でも・・・・・・僕は自分自身ができるやり方を貫くしかない。僕のありのままの気持ちを、表に出すしかない。僕は嘘をつくのが下手だし、表面を取り繕えるほど、器用じゃないことは知ってるしね。
でも、痛みを知ってるからこそ、人の痛みにも全力で共感してあげられるような、そんな人間に・・・・・・僕はなりたいと、思うようになったのだ。