Cp.5
「旅の終わり」

伊東に着きました。夜景が美しいですね。これはなんかの温泉旅館だと思います。(笑)(笑)

正体はこの子です。(笑)日帰り入浴で500円ですって。こっちにすればよかったかな(笑)(笑)
さて!!!この伊東で何をするかって、そりゃあ夕食なのですが、何を食べるか決まっています!!!うなぎです!!!!!
というのも、伊東って言えば海鮮かなぁとか思うんですが、ちらっと下調べした時にうなぎが旨い店があると聞いたものでね・・・・・・!!!

その名も!!!!うなぎのまとい!!!!!!!
ん?????なんか立て看板があるゾ????なんだこれ??????

ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙
完全に計画が破綻しました。何のために伊東に来たのだ・・・・・・。
仕方がないのでぶらぶらして良さそうなお店を探します。

が、見つからなかったので、大人しく帰ることにしました。
見つけたのはおんな泣かせっていう地酒ぐらいですね。興味ありましたが4000円は・・・・・・地酒ってそんな高いのか(・ω・)
僕もねー・・・・・・泣かせられる女がいたらなぁ・・・・・・(!?)
ちょっとさすがに疲れが溜まってきてたので、伊東駅を見てあーこのまま電車乗って帰りてえなあとか思ってました(笑)(笑)一本で帰れるし(笑)(笑)(笑)
そういや伊東には友達と来たことがあるんですが、日記には書いてないですね。残念。あの頃は彼女いなかったけど楽しかったなぁ。(笑)

ということで、失意のもと熱海に戻ってきました。夜の熱海はこんなんです。綺麗ですね。彼女と来たかったなぁ。

ほんとは熱海でご飯食べたかったんですけど、ここまで来たらもう帰ったほうがいいかなと思って、この熱海サンビーチをちょっと散策して終わろうかなって思いました。
とりあえず、この綺麗な夜の砂浜をただ一人で歩きます。昨日に来た時の景色と比較しながら・・・・・・。

遊歩道にも微妙にライトアップがありまして、幻想的な雰囲気を演出してくれていました。
これ恋人と来たら楽しかったろうなー。僕にはそんな恋人居なくなってしまったし、将来できるかも全く分からなくなってしまったけれど、もし機会に恵まれたら、また来れたらいいね。

ということで、500kmにも及ぶ長い道程でしたが無事に走破することができました。
道中で良さそうなお店を見つけたら晩御飯を食べる計画が、なかなか見つからないまま近所まで来ちゃったのでそのまま帰ってきちゃいました。
晩御飯を結局食べなかったので予定より帰宅時間早いですね。晩御飯食べながら休憩するつもりだったので、食べなかったことにより熱海からノンストップで3時間バイクに乗ってたことになりますね。さすがに疲れましたね。休憩って大事。(笑)
まぁ、そんな感じで、心を病みつつあった・・・・・・いや、もしかしたら既に病んでいたのかも知れないですが、久々に羽を伸ばせた2日間だったかなって思います。
・・・・・・そんな、楽しかった旅行の内容を共有できる相手がいたら、良かったんだけどな。
さて、最後に、ちょっとだけ当時のことを振り返ってみましょうか。
僕は、彼女と別れてからのあの約半年間、自分が孤独の中にあったことをずっと悩んでいましたね。
当時の僕が抱えていた心の闇は主に「恋愛に対する恐怖」と「孤独に対する絶望」の二種類があったと思います。
どのようにして彼女と別れたのかは、いずれこっそりと語られることになるでしょう。
その後、僕がどのように迷走したのかも書いてはいるので、もしかしたらそれを見てくれる人もいるかも知れません。
少し前に30になっても誰とも付き合えなければ、僕は全ての負債を清算し終えたら、なるべく人に迷惑をかけない形で死んでしまいたいと思ってはいるという旨の話をしたと思いますが、それが現実になってしまったら、その話がお目見えする時は、もしかしたら僕はいないかも知れませんし、希望を見つけることができたのだとしたら、きっと幸せな顔をして振り返ることもできるのかも知れません。それは今の僕には分かりません。
まぁ、こんな話を書くかどうかは迷いましたが、当時の心境を語ろうとするならば、そんなことを思ってはいるということは言わないといけないですね。
今では、恋愛に関しては、失意と迷走の結果、結論を出したつもりです。
人に愛してもらう、あるいは、愛したままでいてもらうためには、相手に何かを与えなければならない。
でも、現状僕は特に光るもの、評価に値すると言えるものを、自身で持っていない。
「自分の傍に居てくださる人」を幸せにしたいと考えた時、その「何かしら」を与えることで幸せにすべきなのに、僕にはまだそれができない。その時点で、誰かと付き合うという行為をするのに値しないのだ。
それ以前に、何も与えられない男に、女性が興味を抱くはずがない。僕は何か秀でた優しさや魅力などもあるわけでもないし、イケメンや金持ちでもない。
自分が女性だったら、自分みたいな男と付き合いたいかって思うと、たぶんそれはNoだ。もっといい男はたくさんいる。分かっていたことじゃないか。
そこまで分かっているのなら、僕は人に愛してもらうことを求めるべきじゃないし、自分が人を愛したところで、その人を幸せにする能力がない。
僕にはまだ恋愛は向いていないし、もしかすると一生できないのかも知れない。でも、それは仕方がないことだ。
優秀な子孫を残すことが生物の目的である以上、僕のように能力が不足している人間は淘汰されるのが自然な流れでしょう。
だから、僕はもう、恋愛するということを諦めることにした。本当は、誰か傍に寄り添っていて欲しいけど、自身にその資格がない。
まぁ、割と無茶苦茶なことを言っているのは自覚しているけど、そんな自分を笑って受け入れてくれるような存在にもし巡り会えたとしたら、僕はその人の為だけに自身の命を捧げたいとも思っている。
人を愛するということは、遊びじゃないんだ。
諦めてしまった以上、もはや不安など抱く必要もなくなりました。どうせ期待したところで、自分のことを見てくれる女性がいないことは知ってます。人が人を好きになるのは、理由があるからね。
ま、そんな自分でも受け入れてくれる存在を希少なものと自覚しておいた方が、その人のことを自分の命よりも大切にできると思いますしね。
恋愛に関しては、それで良かったのです。
でも、友達に関しては、どうだろう。
僕は孤島のような研究室に流され、以後ずっと孤独を感じていました。
彼女と別れた時、それについて話せる相手がいない。自分には、サークル以外の人脈が皆無だった。
僕はそれを自覚してから、強いストレスに悩まされ続けていました。
同期とも疎遠になった。学部の同期も、留年を期に遠い人になってしまった。
サークルの同期含め、みんな人間関係の中心が研究室になっていった。共通の話題をなくしていく。共通の関係性をなくしていく。
僕はどうだ。研究室には誰もいない。僕は人間関係を喪失してしまった。
話したい。人と話したいし、笑いたい。でも、相手がいない。
人と話したいから、後輩を飲みに誘ったりした。でも、結局それはただ「話す」という目的しか達成できず、真に僕が必要としていた「日常」には程遠いものだった。
それを自覚し、僕に必要なのは会話をする環境ではなく「友達」と呼べる存在であることを自覚した。
友達を作るにはどうしたらいいか考えた。街行く男性に話しかければ良いのか。パーティにでも行くべきなのか。
でも、そういった一期一会の関係は脆いものであると僕は感じた。なぜなら、パーティで仲良くなった人も確かにいるけど、やはり共通の話題がそんなにない。
日常というのは、同じ集団に属するからこそ生まれるのであって、近況報告しかできないのであれば、それはサークルの同期と何も変わらない。
もちろん、恋人が居たら全て解決する話だし、友達を作るより恋人探しに躍起になった方が明らかに簡単なのは、理屈では理解できる。だって、恋人が一人居れば、話し相手には困らないしね。
でも、僕はそれをどうしても許容できなかった。恋愛というのは、ただ一人傍に居て欲しいと思った人とつながるべきであって、恋をすることを目的にしてはいけない。
そして、そんな対象は、容易に見つかるはずがないし、見つかってはいけないことなのだ。
だから、僕は友達を探し続けた。友達と呼べる存在に出会うには、どうしたらいいか考えた。
そこで僕は、twitterを再び使い始めることにした。オフラインでは環境がない限りどうしようもない。だったら、オンラインで近所に住んでる人とつながればいい。
さらに、僕は巨大なクラスタである「音楽」あるいは「オーケストラ」という趣味を持っている。
僕は無心でヴィオラを弾き続けてきた。そんな自分の趣味を利用してやろうと思った。
ヴィオラに関してなら、たぶん人よりかはこだわりはある。語れることはある。なんなら、エキストラにでも呼んでもらって、人脈を広げるのもありだ。使えるものは使ってやろう。
そう思って、僕はtwitterをきっかけとした、オンラインでのつながりをオフラインに持ってこようと思ったのです。
そしてその結果が、この旅行です。
この旅行自体にはオフ会の計画はありませんでした。でも、なんだかんだ言って会うことはできた。
それが、僕にとってどんなに大きい希望になっただろう。僕はまだ、完全には一人じゃない。可能性は、残されているんだ。
そういう希望を感じ取れた旅行だったなって思います。だから、僕はこの旅行に行って良かったなと思っているし、こうやって後日談も書ける。
その後僕がどうなったかは、具体的には日記を見てもらうと良いと思うのですが、やはりtwitterでは限度がありました。
結局、会っても一期一会にしかならないし、そもそも近くに住んでる人で、かつ僕に強い興味を持つ人ってそうそう見かけないのです。
さらに、孤独によるストレスが限界に達し、頭痛やすごい厭世観などに悩まされました。僕は常に泣きそうな状態で、目頭がずっと熱かったです。
でも、泣いたところで誰も受け入れてはくれない。僕は、自分が辛いと言って、抱きしめてくれる存在を欲していたが、そんな自分を理解して、助けてくれる人は誰もいないことも理解していた。
我慢できずに自分が辛いと相談した唯一の相手も、助けてはくれなかったから。これに関しては、先程、自分が迷走したと言った話そのものなんですけどね。そこで自分がどういう存在だったかを思い出し、今に至るわけですが。
この状態で2年間もの院生生活を続けるのは不可能だと自身で感じました。我慢する前に身体がおかしくなりそうだ。6月が終わる時点で、もう精神がめちゃくちゃになる予感はしていました。いや、実際そうなりつつあった。
毎晩毎晩、寝るのも起きるのも怖くて、自分が何のために生きてるのかも分からないし、死ねるならさっさと死にたかったし、でも死んだら迷惑がかかるから死ねなくて。それでも、院さえでれば希望があると信じたかった。友達ができると信じてはいた。環境さえあれば、僕は人並みの生活を送れる自信はあった。今おかれているこの研究室生活がおかしいだけだったから。
そこで僕は思い切って、中退する流れになりました。2年も絶対に我慢できない。でも1年だったら、なんとかなると。
そして、好きでもない研究からも開放され、気持ちは少し楽になりました。嫌なことが1つ減るだけでも、だいぶ救われるものです。
もちろん、友達を作るという目的の達成方法は未だに探し当てられていませんし、現時点で僕自身も諦めがついています。まぁ、就職したら自然とできるはずですし、それまで我慢することぐらい、なんとかはなります。
それに、僕は徐々に新しい居場所を見つけつつあります。オンラインでのつながりなんて、仮初のものだと僕は理解していますが、それでも、何か後につながるものを得られそうな気も、しなくもないです。いや、そう思いたいのです。
今これを書いているのは、この旅行から数ヶ月経った後、9月の末です。
波乱に満ち溢れた今年度の半分が終わろうとし、僕はちょっとは希望を見て生活できるようにもなりましたし、鬱病の症状もなくなりました。
寂しくないといえば嘘です。でも、当時に比べたらなんでもない。僕はまだまだ我慢できる。
そう、いつか、僕のことを受け入れてくれる、僕とお話してくれる、そんな素敵な友人たちに巡り会えるのを楽しみにできるようになってきました。
今の時点でちょっと前向きになっているので、本当はあまりこういう、後ろ向きな話を上手く書けなくなってしまいました(笑)
それでも、僕は当時悩みに悩んでいて、そんな絶望の中もがいてこの旅行を企画し、羽休めしようとしたのは事実です。
この旅行は、そんな僕の闇を象徴する旅行であるのと同時に、人とのつながりがいかに大切かを思い出させてくれた、そんな旅行だったと、位置づけたいなと思っています。
そして同時に、未来を見つめて走り出せるきっかけになれたらいいなと思って、副題として「走れ!!あの青い未来へ!!!」としたのです。
そう、僕はあの日見た青く美しい、澄んだ空を、また見上げて歩けるように、なりたい。
★おまけ★
2016年05月12日のツイート
2016年05月13日のツイート
旅行中にどんなつぶやきをしていたか、気になる方はこちら・・・・・・。(笑)
「旅の終わり」

伊東に着きました。夜景が美しいですね。これはなんかの温泉旅館だと思います。(笑)(笑)
さて!!!この伊東で何をするかって、そりゃあ夕食なのですが、何を食べるか決まっています!!!うなぎです!!!!!
というのも、伊東って言えば海鮮かなぁとか思うんですが、ちらっと下調べした時にうなぎが旨い店があると聞いたものでね・・・・・・!!!
その名も!!!!うなぎのまとい!!!!!!!
ん?????なんか立て看板があるゾ????なんだこれ??????

ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙
完全に計画が破綻しました。何のために伊東に来たのだ・・・・・・。
仕方がないのでぶらぶらして良さそうなお店を探します。
見つけたのはおんな泣かせっていう地酒ぐらいですね。興味ありましたが4000円は・・・・・・地酒ってそんな高いのか(・ω・)
僕もねー・・・・・・泣かせられる女がいたらなぁ・・・・・・(!?)
ちょっとさすがに疲れが溜まってきてたので、伊東駅を見てあーこのまま電車乗って帰りてえなあとか思ってました(笑)(笑)一本で帰れるし(笑)(笑)(笑)
そういや伊東には友達と来たことがあるんですが、日記には書いてないですね。残念。あの頃は彼女いなかったけど楽しかったなぁ。(笑)



とりあえず、この綺麗な夜の砂浜をただ一人で歩きます。昨日に来た時の景色と比較しながら・・・・・・。
これ恋人と来たら楽しかったろうなー。僕にはそんな恋人居なくなってしまったし、将来できるかも全く分からなくなってしまったけれど、もし機会に恵まれたら、また来れたらいいね。

ということで、500kmにも及ぶ長い道程でしたが無事に走破することができました。
道中で良さそうなお店を見つけたら晩御飯を食べる計画が、なかなか見つからないまま近所まで来ちゃったのでそのまま帰ってきちゃいました。
晩御飯を結局食べなかったので予定より帰宅時間早いですね。晩御飯食べながら休憩するつもりだったので、食べなかったことにより熱海からノンストップで3時間バイクに乗ってたことになりますね。さすがに疲れましたね。休憩って大事。(笑)
まぁ、そんな感じで、心を病みつつあった・・・・・・いや、もしかしたら既に病んでいたのかも知れないですが、久々に羽を伸ばせた2日間だったかなって思います。
・・・・・・そんな、楽しかった旅行の内容を共有できる相手がいたら、良かったんだけどな。
さて、最後に、ちょっとだけ当時のことを振り返ってみましょうか。
僕は、彼女と別れてからのあの約半年間、自分が孤独の中にあったことをずっと悩んでいましたね。
当時の僕が抱えていた心の闇は主に「恋愛に対する恐怖」と「孤独に対する絶望」の二種類があったと思います。
どのようにして彼女と別れたのかは、いずれこっそりと語られることになるでしょう。
その後、僕がどのように迷走したのかも書いてはいるので、もしかしたらそれを見てくれる人もいるかも知れません。
少し前に30になっても誰とも付き合えなければ、僕は全ての負債を清算し終えたら、なるべく人に迷惑をかけない形で死んでしまいたいと思ってはいるという旨の話をしたと思いますが、それが現実になってしまったら、その話がお目見えする時は、もしかしたら僕はいないかも知れませんし、希望を見つけることができたのだとしたら、きっと幸せな顔をして振り返ることもできるのかも知れません。それは今の僕には分かりません。
まぁ、こんな話を書くかどうかは迷いましたが、当時の心境を語ろうとするならば、そんなことを思ってはいるということは言わないといけないですね。
今では、恋愛に関しては、失意と迷走の結果、結論を出したつもりです。
人に愛してもらう、あるいは、愛したままでいてもらうためには、相手に何かを与えなければならない。
でも、現状僕は特に光るもの、評価に値すると言えるものを、自身で持っていない。
「自分の傍に居てくださる人」を幸せにしたいと考えた時、その「何かしら」を与えることで幸せにすべきなのに、僕にはまだそれができない。その時点で、誰かと付き合うという行為をするのに値しないのだ。
それ以前に、何も与えられない男に、女性が興味を抱くはずがない。僕は何か秀でた優しさや魅力などもあるわけでもないし、イケメンや金持ちでもない。
自分が女性だったら、自分みたいな男と付き合いたいかって思うと、たぶんそれはNoだ。もっといい男はたくさんいる。分かっていたことじゃないか。
そこまで分かっているのなら、僕は人に愛してもらうことを求めるべきじゃないし、自分が人を愛したところで、その人を幸せにする能力がない。
僕にはまだ恋愛は向いていないし、もしかすると一生できないのかも知れない。でも、それは仕方がないことだ。
優秀な子孫を残すことが生物の目的である以上、僕のように能力が不足している人間は淘汰されるのが自然な流れでしょう。
だから、僕はもう、恋愛するということを諦めることにした。本当は、誰か傍に寄り添っていて欲しいけど、自身にその資格がない。
まぁ、割と無茶苦茶なことを言っているのは自覚しているけど、そんな自分を笑って受け入れてくれるような存在にもし巡り会えたとしたら、僕はその人の為だけに自身の命を捧げたいとも思っている。
人を愛するということは、遊びじゃないんだ。
諦めてしまった以上、もはや不安など抱く必要もなくなりました。どうせ期待したところで、自分のことを見てくれる女性がいないことは知ってます。人が人を好きになるのは、理由があるからね。
ま、そんな自分でも受け入れてくれる存在を希少なものと自覚しておいた方が、その人のことを自分の命よりも大切にできると思いますしね。
恋愛に関しては、それで良かったのです。
でも、友達に関しては、どうだろう。
僕は孤島のような研究室に流され、以後ずっと孤独を感じていました。
彼女と別れた時、それについて話せる相手がいない。自分には、サークル以外の人脈が皆無だった。
僕はそれを自覚してから、強いストレスに悩まされ続けていました。
同期とも疎遠になった。学部の同期も、留年を期に遠い人になってしまった。
サークルの同期含め、みんな人間関係の中心が研究室になっていった。共通の話題をなくしていく。共通の関係性をなくしていく。
僕はどうだ。研究室には誰もいない。僕は人間関係を喪失してしまった。
話したい。人と話したいし、笑いたい。でも、相手がいない。
人と話したいから、後輩を飲みに誘ったりした。でも、結局それはただ「話す」という目的しか達成できず、真に僕が必要としていた「日常」には程遠いものだった。
それを自覚し、僕に必要なのは会話をする環境ではなく「友達」と呼べる存在であることを自覚した。
友達を作るにはどうしたらいいか考えた。街行く男性に話しかければ良いのか。パーティにでも行くべきなのか。
でも、そういった一期一会の関係は脆いものであると僕は感じた。なぜなら、パーティで仲良くなった人も確かにいるけど、やはり共通の話題がそんなにない。
日常というのは、同じ集団に属するからこそ生まれるのであって、近況報告しかできないのであれば、それはサークルの同期と何も変わらない。
もちろん、恋人が居たら全て解決する話だし、友達を作るより恋人探しに躍起になった方が明らかに簡単なのは、理屈では理解できる。だって、恋人が一人居れば、話し相手には困らないしね。
でも、僕はそれをどうしても許容できなかった。恋愛というのは、ただ一人傍に居て欲しいと思った人とつながるべきであって、恋をすることを目的にしてはいけない。
そして、そんな対象は、容易に見つかるはずがないし、見つかってはいけないことなのだ。
だから、僕は友達を探し続けた。友達と呼べる存在に出会うには、どうしたらいいか考えた。
そこで僕は、twitterを再び使い始めることにした。オフラインでは環境がない限りどうしようもない。だったら、オンラインで近所に住んでる人とつながればいい。
さらに、僕は巨大なクラスタである「音楽」あるいは「オーケストラ」という趣味を持っている。
僕は無心でヴィオラを弾き続けてきた。そんな自分の趣味を利用してやろうと思った。
ヴィオラに関してなら、たぶん人よりかはこだわりはある。語れることはある。なんなら、エキストラにでも呼んでもらって、人脈を広げるのもありだ。使えるものは使ってやろう。
そう思って、僕はtwitterをきっかけとした、オンラインでのつながりをオフラインに持ってこようと思ったのです。
そしてその結果が、この旅行です。
この旅行自体にはオフ会の計画はありませんでした。でも、なんだかんだ言って会うことはできた。
それが、僕にとってどんなに大きい希望になっただろう。僕はまだ、完全には一人じゃない。可能性は、残されているんだ。
そういう希望を感じ取れた旅行だったなって思います。だから、僕はこの旅行に行って良かったなと思っているし、こうやって後日談も書ける。
その後僕がどうなったかは、具体的には日記を見てもらうと良いと思うのですが、やはりtwitterでは限度がありました。
結局、会っても一期一会にしかならないし、そもそも近くに住んでる人で、かつ僕に強い興味を持つ人ってそうそう見かけないのです。
さらに、孤独によるストレスが限界に達し、頭痛やすごい厭世観などに悩まされました。僕は常に泣きそうな状態で、目頭がずっと熱かったです。
でも、泣いたところで誰も受け入れてはくれない。僕は、自分が辛いと言って、抱きしめてくれる存在を欲していたが、そんな自分を理解して、助けてくれる人は誰もいないことも理解していた。
我慢できずに自分が辛いと相談した唯一の相手も、助けてはくれなかったから。これに関しては、先程、自分が迷走したと言った話そのものなんですけどね。そこで自分がどういう存在だったかを思い出し、今に至るわけですが。
この状態で2年間もの院生生活を続けるのは不可能だと自身で感じました。我慢する前に身体がおかしくなりそうだ。6月が終わる時点で、もう精神がめちゃくちゃになる予感はしていました。いや、実際そうなりつつあった。
毎晩毎晩、寝るのも起きるのも怖くて、自分が何のために生きてるのかも分からないし、死ねるならさっさと死にたかったし、でも死んだら迷惑がかかるから死ねなくて。それでも、院さえでれば希望があると信じたかった。友達ができると信じてはいた。環境さえあれば、僕は人並みの生活を送れる自信はあった。今おかれているこの研究室生活がおかしいだけだったから。
そこで僕は思い切って、中退する流れになりました。2年も絶対に我慢できない。でも1年だったら、なんとかなると。
そして、好きでもない研究からも開放され、気持ちは少し楽になりました。嫌なことが1つ減るだけでも、だいぶ救われるものです。
もちろん、友達を作るという目的の達成方法は未だに探し当てられていませんし、現時点で僕自身も諦めがついています。まぁ、就職したら自然とできるはずですし、それまで我慢することぐらい、なんとかはなります。
それに、僕は徐々に新しい居場所を見つけつつあります。オンラインでのつながりなんて、仮初のものだと僕は理解していますが、それでも、何か後につながるものを得られそうな気も、しなくもないです。いや、そう思いたいのです。
今これを書いているのは、この旅行から数ヶ月経った後、9月の末です。
波乱に満ち溢れた今年度の半分が終わろうとし、僕はちょっとは希望を見て生活できるようにもなりましたし、鬱病の症状もなくなりました。
寂しくないといえば嘘です。でも、当時に比べたらなんでもない。僕はまだまだ我慢できる。
そう、いつか、僕のことを受け入れてくれる、僕とお話してくれる、そんな素敵な友人たちに巡り会えるのを楽しみにできるようになってきました。
今の時点でちょっと前向きになっているので、本当はあまりこういう、後ろ向きな話を上手く書けなくなってしまいました(笑)
それでも、僕は当時悩みに悩んでいて、そんな絶望の中もがいてこの旅行を企画し、羽休めしようとしたのは事実です。
この旅行は、そんな僕の闇を象徴する旅行であるのと同時に、人とのつながりがいかに大切かを思い出させてくれた、そんな旅行だったと、位置づけたいなと思っています。
そして同時に、未来を見つめて走り出せるきっかけになれたらいいなと思って、副題として「走れ!!あの青い未来へ!!!」としたのです。
そう、僕はあの日見た青く美しい、澄んだ空を、また見上げて歩けるように、なりたい。
★おまけ★
2016年05月12日のツイート
2016年05月13日のツイート
旅行中にどんなつぶやきをしていたか、気になる方はこちら・・・・・・。(笑)