一つの区切りとして、ちょっと真面目な話をさせてください。
まぁ、
サイサイのアップチューンな曲を聞きまくってたからかも知れないですけど、僕はとても機嫌が良くなりましてね。なんだかとても未来に希望が持てるというか。実はちょっと嬉し泣きしそうだったんですよ。
サイサイの曲にそんなに勇気づけられてるのかって話ですけど、まぁ音楽の力って偉大ですからね。(笑)
でも、自分はなんでこんなに、泣きそうになるぐらい希望に満ち溢れてるんだろうと思ったんですね。
思えば、この彼女と別れてからの半年間は地獄のような日々だった。
自分がきちんと向き合っていたつもりで向き合えきれてなかったのも原因の一つであるとは言え、自分が最も傷つく、最も辛い別れ方をしてしまった。
そこで自分の課題が見つからずに悩んで心を病み、自殺衝動と理性を天秤にかける日々だった。
次にどんな女性と巡りあっても同じ結果になりそうだ。それに、そもそも女性と巡り会える機会が存在するのかも謎だった。
未来に期待が持てないから、死ねばラクになる。でも、どのような自殺方法を選んだにしろ、親に多大な賠償金がかかる。その賠償で、僕一人で済む問題が、家族の貧困につながる。特に悪いことをしていない人が、理不尽な苦しみ方をするのは、辛いことなのは、痛いほどよく分かる。それに、子供が死んだという精神的なダメージに、さらに貧困という物理的なダメージを与えられると、きっと今の僕以上に辛くなると思ったから、なんとか希望を探して自分の心の平穏を取り戻そうと決意はした。僕が希望を持てれば、それで全て解決するのだから。
でもその道のりは決してラクじゃなかった。僕は孤独だったのだ。
今までは彼女が傍に居たから気づかなかったけど、僕には友人と呼べる存在がいなかった。正確に言えば、
距離が離れてしまったのだ。
留年の影響で、学部の友達とも疎遠になった。オケの同期とも仲良くしてこなかった。仲良くできた人とも、やはり就職や研究などで物理的な距離は離れていった。
研究室だってそう。僕は留年したせいで、変な研究室に入ってしまった。同期もいなけりゃ先輩もいない。後輩も、来たとしても会って話す機会は絶対ない。現に、未だ一度たりとも会話をしていないし、名前も知らない。ただ、一度だけ顔を見たことがあるぐらいだ。
そんな研究室だから、僕は誰にも会えなかった。誰とも話すことができなかった。もちろん、助けを求めればかつての友人は応じてくれはするだろう。でも、それはなんとなく、違う気がしていた。
そして、自分の心情を吐露する相手もいなかった。なぜなら、別れた理由をあまり口外したくなかったから。
彼女を幸せにできなかったのは僕自身が悪いことだ。その罪を背負うぐらいはしなくてはいけない。吐き出すのなら、彼女と無縁な人を探して吐き出せば良い話だ。友達のいない僕が、自身を苦しめているのだ。
それに、僕と彼女はもう赤の他人。もう関わることもないだろう。そんな人間に苦しめられるのは、鬱陶しい以外の何者でもないことは、僕自身が一番知っている。
僕もいつか、心の拠り所を見つけて、彼女との思い出を封印して話せるようになりたい。それでも、孤独を思い出すから、彼女と付き合っていたという事実は、なるべく思い出したくなかった。
さらに運が悪いことに、僕は家族のことが嫌いだった。家族のことが嫌いで、僕は上京してきたぐらいだから。
母親の笑顔を見て吐き気がするなんて、自分はきっと病気だろう。単なる性格の不一致だから、距離を置けばいい話だ。そう思ってわざわざ首都圏の大学を選んだわけなので、僕にとって家族というのは心の枷でしかなかった。
普通の人は、こういう時家族に頼るだろう。でも、僕にとっての家族は、話していると結局不快になる存在でしかなかった。だから、頼ることができなかった。
最初は、後輩に頼った。
1月には、迫り来る女嫌いの絶望と自殺願望に耐え切れず、他人のせいじゃなく自分のせいにしなくてはと思い、相談をした。何が一番辛かったかって
「自分の良くなかったところが一切分からない」ことが一番辛かったからだ。
お陰で僕はだいぶ救われた。ちゃんと課題が見つけられたし、真っ黒だった未来に、光の点を見ることはできた。
しかし、自分の心の弱さのせいで、また貴重な人脈を破壊してしまったように思える。
僕は彼女を生きる希望として縋ろうとしてしまった。楽しみがないと生きられない身体になってしまっていたから。自分を救うために、人を使おうとしてしまった。
「女の子」という生き物がどういう生き物だったのか、自分は良く知っていたはずなのに。自分が人に好意を持っているなんて話をしたら、どういう結果になるのか、僕は知っていたはずなのに。
いや、知っていたから、誤解を招かないような言い方はしたつもりだ。でも、もっと強調していれば、結果は変わったかも知れない。それでも、僕は何かに縋らないと、生きていく力が湧かなかった。
それでも、例え義務感でも、誰にも負債を負わせずに死ねる資産を手に入れるまで、僕は生きる目標を見つけなくてはいけなかった。
早く死にたいと思いながら、ただ時が流れるのを待つのは、ただの地獄でしかなかった。毎朝起きるのが辛かったし、かといって何もやる気が起きなかった。どうするのが最善かを考えるバイタリティすらなかった。ただゾンビのように、ただ辛いことを忘れようと必死になっていた。孤独を思い出すから、良くないのだ。
助けを求めたところで、誰も助けてくれないのは、知っていたから。
そういう現状に持って行ったのは、紛れも無い自分自身だ。全て自分が悪いのだから、自分でなんとかしなくてはいけない。
次に、後輩と遊んでみることにした。
確かに、パッと見は異様な感覚がした。僕は、男同士で遊ぶビジョンがなかったし、遊べる場所も知らなかった。
それでも、誰かと遊ぶという経験が、自分の孤独を潤してくれるだろう。そう思って、一緒に遊んでみることにした。
映画行ってみたり、
築地や
メイドカフェとか行きましたね。
こうやって人と話したり遊んだりするのって、結構いいものだなと実感しました。
それでも、根本的な解決には至ってなかった。
結局、後輩もいつかは卒業するし、研究室に入ったら誘いづらくなる。だから、より下の学年と接点を持つのだけど、やはり学年が離れると限度がある。
自分が今一番必要としているのは
何気なく話すことができる友人という存在だった。しかし、現状どうあがいてもその存在を手に入れることができなかった。
人がいる研究室が羨ましくて仕方がなかった。でも、もう配属先を変えることもできないし、入学金を払っている以上もうどうすることもできなかったし。結局は後手後手になってしまった。もっと別れるのが早ければ、就活したりもできたのに。
それに、結局女嫌いから生じる
恋愛アレルギーは、もはや病的なまでになっていた。恋愛が嫌いで仕方がない。でも、結婚をしないと孤独で辛いし、僕は信じられる相手が絶対に欲しい。僕は、家族が欲しいのだ。
僕はその自己矛盾とどう向き合えばいいのか分からなかった。矛盾しているのは分かる。でも、僕は女の子が嫌いなんだ。
一つの転機となったのは
パーティに行ったことだった。
自分の中にはなかった選択肢だった。思いつかなかった。世の中には、そういう素敵なイベントがあることを、すっかり忘れていた。
そう、色んな人と出会う場所というのは、探せばきちんとあるものだった。現に僕は、ここで話しかけた人のうち一人と
後に二人で飯を食べに行くことになりました。
僕は、この時ついに自分が孤独から救われる手段を得たと感じ、4月の日記のテーマを
「新しいレールへ。」とした。僕の人生は、ここでやっと新しい道に分岐させることができたのだ。
僕は嬉しくて仕方がなかった。何故なら、手段を一つ、見つけることができたからだ。
そこで、僕の当面のテーマとして
「自分が彼女と別れた本当の理由を伝えることができる女友達を探す」というものにシフトさせることができた。
ちなみに今は割とこれはどうでも良かったりします。別にオケに関係ない人だったら聞かれたら答えますけど、今はもはや恋愛を忘れているので(笑) 理由は後述します。
まぁそういうわけで、
付き合うとか考えずに、一緒に遊んでくれる女の子が欲しいと言っていたわけですね。男相手に、真面目な恋愛の話ってあんまりしたくなかったので。それに、有益な情報も得られなさそうでしたしね。
そして、その後僕は気づくことになりました。
大学オケに、もはや自分の居場所などないと。
被害妄想もだいぶ入っていると思います。しかし、自分のことを苦手としている後輩は確かに、確実に1人はいます。2人かも知れませんし3人かも知れません。もっといるかも知れません。
別に、皆から好かれたいとかそんな八方美人でいようとは思っていませんし、理不尽な理由で人を嫌った経験も、僕の過去には存在します。若いって、そういうことなのです。だから、別に僕は気にはしません。もちろん、嫌われるだけの明確な原因や、性格の不一致もあります。仕方がないことなのです。
そんな僕が存在することで、本来楽しいはずのサークルが、僕の顔を見ただけで不快な気持ちになるかも知れない。僕は、皆に音楽を楽しんで欲しいし、僕自身がそのための邪魔になることは、あってはならないことだと思ったのです。OB2年目にもなって、後輩達を苦しめる存在になるなんて、僕自身が絶対に許せなかった。
だから、僕はもうオケの練習に行かないことにした。僕はたぶん、歓迎されていない。それに、僕自身、孤独を強く感じてしまうようになっていた。自分が受け入れられている保証を、どう感じたら良いのかわからなくなっていた。
そして同時に気づいた。オケでの5年間は、僕にとって失敗だった。僕はみんなに何も良い影響を与えられなかった。僕は早く消えるべきだ。僕はオケから、存在をなかったことにするべきだ。
そこで、僕はオフライン用のtwitterアカウントを捨てることを決意した。もう、関わることがないと思ったからだ。
それでも、別に僕は人格破綻者ではないつもりだし、自分と仲良くしてくれる人もたくさんいる。だからこっそり、プロフィールにオンライン用のアカウントへの誘導をしていたりする。気が向く人だけ、フォローしてくれたらいい。僕の今後を気にしてくれる人だけ。
どうせ、もう殆ど会うこともないんだろうしな。でなきゃ僕は、孤独に打ちひしがれてなんていなかっただろうし。
もう一つ、試してみたこととしては
twitterの活用だった。
僕がもう一つ、友達作りに使えるツールとして
ヴィオラと
オーケストラの存在があった。
自分で言うのもなんだけど、僕はことヴィオラに関しては、人の3倍以上は絶対に練習してきた。責任学年時の春休みや夏休みなんかは、1日6~10時間毎日弾いていた。別にヴィオラ自体が好きなのかどうかは自分でも分からないが、音楽の表現という理想は、人よりも高い自負がある。
だから、その自分の思想を発信していけば、もしかすると外部のオーケストラに誘ってもらえるかも知れないし、一緒にアンサンブルすることもできるかも知れない。
自分の孤独を解決するために、そういった楽器での繋がりを作ってみようと思い立ち、僕は色んな人をフォローした。そして、遠い未来に、一緒にオーケストラで演奏する機会も作ることができた。
そんな風に、日常的に会えるわけでもないが、新しい友達が出来るかも知れないという希望は持つことができた。
もちろん、恋愛アレルギーとの自己矛盾はいずれ解決させなくてはいけなかったが、それでも、冬の時期ほど、辛さは感じなくなってきた。その気になれば、友達を作れる「かも知れない」手段を知ったから。
それでも、時たま孤独を思い出して嫌な気分になることが多かった。人と話さない日の方が多かったし。
だから僕は
旅に出かけた。一人の時間を楽しむ術を手に入れたく、彼女がいると絶対にできない、ツーリングをメインに据えた旅行だった。
旅に出て、好きなことやって、自分をリフレッシュさせたかった。そう、これは自分が、孤独から逃げるための旅行だった。
結論を言えば、この旅行は大成功だった。ただバイクに乗って走るだけでも、とても楽しい。
そして僕にとっての一番の収穫は
ちゃんと人と会えたことでもあった。
僕は今後、色んな人と仲良くなれるかもなと思いながら、星空を眺めて寝た夜は、たぶん一生忘れないと思う。
そして更に、
社会人オケに正式に入ることになった。
たくさんの人がいる。たくさんの人と話せる。僕は嬉しくて仕方がなかった。人と知り合うことで、さらにそこから誰かと知り合えるかも知れない。
そんな「期待」が僕は欲しかった。ずっとずっと、欲しかった。
そして、嬉しいことに、twitterで知り合った方と会う機会をこっそり計画していたりしています。2人ほどと。(笑)
そう、人生何があるのか分からないのだ。楽しく生きていれば、そんな「期待」をいくつも見つけられる。
楽しいことと巡りあう機会は、自分が思っているよりたくさんあるのだ。いや、自分がたぐり寄せることができたんだ。たぶん。
こんな僕でも、ちゃんと興味を持ってくれる人もいるわけですしね。僕と仲良くなりたい
(と思ってるかどうかは知らないですけど笑)と、ちゃんと一方的じゃなく、お互いに思えるような情報の発信がちゃんとできていたんだなと。
僕はもう辛くない。ちゃんと明日を楽しみにできる。人と話したかったら、たった2週間我慢すればいいだけだ。なんてことはない。終わりの見えない我慢よりかはよっぽどマシだ。
それに、特定の人としか話せない、なんてこともない。思わぬきっかけというのは、いくつも転がっているものだから。それを実感することができたのだから。
まぁもちろん、さっきも言った通り、恋愛に関する自己矛盾は解決してないです。現状、恋愛対象としての女の子は、僕は嫌いです。
でも、それでいいのです。いつか、そんな僕の、理屈ではあり得ない、感情的な価値観を馬鹿らしく感じさせてくれる女性に巡りあう、その機会への「期待」を持てるようになりました。これだけ新しい人脈を広げる手段があれば、いつかきっと巡り会えるでしょう。僕の人生はまだ始まったばかりなのだから。
それに、この期間を通して僕は気づいたことがあります。恋人だけが、心の拠り所じゃないのです。
もちろん、やっぱり信頼できる相手というのは欲しいです。でも、今がこんなに楽しいし、心の平穏と充足もそこそこに感じることができている。
だから、恋人なんて、別に今は必要とされていないんじゃないかな。必要としないものを探す理由なんて、どこにもない。ただ性欲を満たすためだけに隣に居る存在にも、僕は興味がないしね。ただ僕は、話がしたいだけ。ただ僕は、家族として接することができる人が欲しいだけ。
だからもう、男だ女だなんて話は、どうでもよいのです。僕はただ、人とのつながりを楽しむだけ。そして今、それがとても楽しい。満足している。
そんな、僕の心情の変化を思い返すと、なんだか山を超えたようで、とてもすがすがしい気分になれるのです。
あぁ、人生って楽しいなぁっ!!!!!!!!
というわけで、12月から始まった、半年間に及ぶ私の
人生に於ける最大の闇を乗り越えたという確信を僕はついに持てたので、こうやって日記として残しておこうかなと思います。
振り返ってみるといろいろやってたなぁとか、なんであんなことで悩んでたんだろうなぁとか思ったりもしちゃうわけですが、僕はとても充実しています。これでもう、研究室に誰もいないから孤独だなんて、思わなくても済みそうです。(笑)