今日、赤羽まで行ってあやちゃんにラブコール・・・・・・じゃなくて、プリンを買いに行ったんですね。相変わらず熱心なストーカーである笑
なお本命の相手にはたどり着けないまま・・・・・・
目的としては、赤羽限定の商品である桃のプティングですね。これを買いに行ったつもりなんですよ。
まぁ・・・・・・僕がチンタラしてたら売り切れちゃったみたいでめっちゃバカにされましたけど・・・・・・。
だって!!!最初行った時あやちゃんいなくて、周りぶらついて時間つぶしてたんだもん!!!!あと、お腹すいた状態じゃなくてお腹いっぱいの状態でお話したかったんだもん!!!!!!(笑)
いや・・・・・・最初行った時、vukeのエリアに一人立ってて、でも横顔が明らか美人で
「あれ・・・・・・あやちゃんってあんな大人びた感じだっけ・・・・・・??」と
失礼極まりないことを考え、やはり違うことを確認したのです(笑)
休憩かトイレにでも行ってんのかなぁ、タイミング悪いなぁとか思ってふらふらしてたんですよね。30分ぐらい・・・・・・(ゴミ)
まぁー・・・・・・あれですね。一秒でも早く!あやちゃんに会いに行こうとしなかった愛のなさが、売り切れという結果を招いたのでしょうね。
これからは○○○ちゃんだけじゃなく○○ちゃんもストーキングすることにしよう ○○○○に怒られるだろうけどな!まるっ!(?)
あ、赤羽駅にあるこちらの
ゆうひ屋というところの油そば、めちゃくちゃおいしかったです。また赤羽行く際には特盛500gで行っちゃいたいと思いました。
そう、敢えて口に出すことで決意表明をしようと思うのだ。
さっき赤羽で時間をつぶしてていたと言いましたけど、こんな本買ったんですよね。誰もが知っているであろうひろゆきの本ですね。
さらっと見て、おもしろそうだと思ったからです。実際、インプットしたら楽しいだろうなぁと思うような
「ルール」がいくつも紹介されてて、かつ僕の思想に合致していたので、全部読みたいと思って買ってしまいました。1400円しました(笑)
まぁ、これを読んで思ったことを、つらつらと書くわけですが。
実は最近、日記の更新が飛んでるなぁとか思われたかもしれませんが、あれ全部非公開記事が書いてあるんですよね。つまりは、僕がお病みになられていた、と(笑)
僕も色々悩むことがありまして、まぁ何で悩んでたのかはもう忘れちゃいましたけど(笑)、最近の僕の精神はとても不安定で、救われたくても救われなくて、何を意識しても自分の望む結果にはならなくて、その度に僕は苦しんでいたのです。
まず、僕は基本的にとても繊細な性格をしているというか、雑なイジりに対して不快感を示すタイプだ。
雑というか、
「あっこの人僕のことナメてるんだな」って感じる人ですね。
僕は自分が傷つきやすいからなのか、その辺をよく感じてしまうからなのか、あまり人をdisるイジりってしないんですよね。それが不快感を生むことを身を以って知っているので。
もちろん、軽口とdisの境界は人それぞれですし、僕も実は言うほど意識はしていません。ただ、「自分が言われても嫌じゃないこと」を言うようにしてますし、冗談なら「冗談とわかる工夫」をします。
でも、自分の繊細な性格が、
「頭ではわかっていてもムカつくもんはムカつく」という結果を生み出します。
ただ、和を以って尊しとする日本人気質が、
「まぁ悪気がないのは分かってるし、本人は"そういうつもり"で言ったんじゃないしな・・・・・・」ということを理解しようとしてしまう。
でも現に僕はストレスを感じる。この人は、そういう"部分"を持つ人だから、それ以外の"好きな部分"を愛して行こう。と、受け入れる姿勢を万全にしようとしてしまう。
それに、僕はここ1年の影響から
「人に好かれること」「人を大事にすること」に対して固執する傾向がある。
友達をなくして一番辛かった精神状態を僕は知っている。僕は周囲に人間がいないと正常に生きていけないことを知った。だから、自分の数少ない知り合いを大切にしていこうと。
そう、たとえ、「この人は僕のことを大切にしていないんだな」と感じたとしても、だ。僕は、他人を、愛情の大小で区別するのを邪道だと思っていた。みんなを大好きになりたかった。僕はそういうステキな人になりたかった。そうすれば、みんな僕を愛してくれると思っていた。
同時に、僕は「人間関係の才能のある人」に嫉妬する傾向があった。
僕も、自分で言うのもなんだけど、たぶん割と「いい人」な自覚はある。全体的に他人に甘いことは自覚している。それを「いい人」というのかは分からないけど。どちらかというと優しいタイプだと思うのだ。それが良い意味でも悪い意味でもな。
でも、どうしてか、みんな僕よりももっと別の人に懐く傾向がある。
いや、別に一番になりたいとか、そういう意味じゃないんだ。例えば、何か集まりがある度に、例えば「ろんぐさんも呼ぶ?」「いやwwwあのひとはいいよwwwww」みたいな、まぁきっと冗談なんだろうけど、そういう疎外感を感じるような物言いが、僕はとても苦手だった。
そう仕向けさせたのは自分だ。自虐を多用することで、相手との位置関係をなるべく、自分が下になるように、相手がモノを言いやすいようにと調整することで世渡りしてきたのだ。
なぜなら、僕がもともと人に話しかけるのが苦手なタイプだったからだ。どうしたら話しかけやすい人になれるかなって考えた結果が、今のスタイルなのだ。なるべく自分がゴミみたいな人間に見せかけ、「あっこの人チョロそうwwww」って思ってもらえるようにしようとしたのだ。
そのアプローチが合ってるのか間違ってるのか、わからないけどね。
それでも、マトモな感覚をしている人間は僕のことを下に見ない。ちゃんと"対等"に扱ってくれる。
でも、そうじゃない人も結構いる。失礼なことをバンバン言ってくる人もいる。
もちろん、僕と話してて楽しくないのかもしれない。
それでも、僕が一番納得いかなかったのは、「僕とは会いたがらないけど、それ以外の人とは普通に会いたがる」人の存在だった。
いや、僕も悪いんだ。僕の接し方がおかしいからね。それが受け付けないのもわかる。
それでも、僕なりの試行錯誤の結果だった。なんで上手く行かないのか、ずっと悩んでいた。
どうしたら僕は人に愛されるのだろう。どうしたら僕はみんなと仲良くなれるんだろう。今まで上手く行ってたはずなのに、求め始めるとどうしてダメになるんだろう????
そこで、僕は気づきつつあった。
僕は何をしても、僕である限り人に愛されることはないと。
もっとイケメンであれば印象が変わるかもしれない。もっと頭の回転が速ければ話も変わるかもしれない。
でも、僕が僕である限り、何をやっても、何を意識しても、きっと「一般的に好かれる人物像」にはなれないんだと。
そんなことを考えている時に出会ったのが、このひろゆきの本だったのですね。
大体どんなことが書かれているのかっていうと「イヤなことは自己正当化してしまう」とか、そんな類のことが書かれています。
例を挙げると
「自分のことが嫌いになるようなことは絶対にしない」というルールがありました。
本の中に書かれていることとしては、例えば「隣の人に足を踏まれそうだな」と思った時、「足を踏まれて、なんであの時注意しなかったんだろう」ってイヤな思いをするぐらいなら先に言ってしまう、とひろゆきさんはおっしゃっていたようです。
もちろん、注意しないという選択肢もあります。でもその結果「足を踏まれるより注意しないという選択肢の方が良いと思ったからだ」と自分を納得させることができ、結果として「注意しなかったせいで足を踏まれてイヤな思いをした。どうしてあの時言えなかったんだろう。」と後悔することがなくなるのです。
あと、
「嫌いなこと」をすぐに忘れてしまうという話もありました。
嫌だったことをずっと引きずってるのもよくありません。あの人のこういう物言いが嫌だけど、我慢した・・・・・・みたいなストレスをずっと抱えているのが今の僕ですね。
でも、僕はもう、そんなくだらないことはさっさと忘れようと思ったのです。ムカつく物言いをされたら、それムカつくからやめた方がいいよと言うことにしましたし、それで人間関係に亀裂が入っても別に困らないなって思うようになってしまった。
だって、何したってどうせ僕は誰からもは望み通りに好かれないんでしょ?(笑)だったら、昔みたいに排他的になってやるよ笑 どうせ僕は誰からも愛されないのだ。その理想と現実のギャップに苦しむぐらいなら、僕は自分にないものを望むべきではないのだと。
まぁ、続きとして
「言えないストレスを溜めない」という話です。
そういうストレスを抱える相手とは、遅かれ早かれ縁が切れると言われていますし、実際僕もそれを感じてはいます。
この人とは気を使わなくてもいい感じだなーとか思う人は、大概「言えないストレス」を感じていないのです。
僕は人を繋ぎ止めようとするあまり、人に「そんなこと言わなくていいじゃないか...」と思っても、口に出さないことが多かった。
でも、僕にそういう「害」を与えてくる人となんで僕は付き合っていかなくちゃいけないのかと思うようになってきた。
実際、そういう人とはきっと疎遠になるんだろう。それでも僕は、好かれたいから、仲間として思ってもらいたかったから、我慢していた。
でも、やはり僕は、望んだ未来を手に入れようと努力しても、無理なことを悟っていた。
そんな時に、ひろゆきさんの、
とにかく自分の世界を幸せにしようとするタイプの本を読んで、きっと僕にはこういう生き方が合ってるのかもなと思い始めるようになったのだ。
まぁつまり、僕は何をやっても人に好かれることはないと確信を持ってしまった。
自分はコントロールできるけど、他人はコントロールできない。
だったら、僕はもう、僕の幸せのために生きることにした。嫌なことは嫌と言えばいいし、気に入らないことは気に入らないと口に出す。
気に入らないところを我慢して生きるより、僕は自己中になろうと思った。世界が僕をそうさせるのなら、仕方がない。何をしても好かれないのなら、もう僕は努力することを放棄することにした。もうやってらんない。疲れた。
そう思うと、やけに身体が軽くなるものだ。
僕は誰からも良く思われないという確信を持つと、もはや自分が何をしようと、何て思われようと気にならなくなってきた。
どうせみんな僕のことを最終的には嫌うからね。期待しなければ損失は発生し得ないのだ。
もちろん、僕のことを気に入ってくれているんだろうなって人も当然いる。しかしそこで過度に期待はしないのだ。僕は僕であって、ステキな僕ではないのだ。今は上手く行ってる。それでいい。
しかし、すり合わせが上手く行かない時が現れたとしても、僕は我慢をしない。俺はもう、好かれることをやめた俺なのだ。俺のことを不快にするのなら俺はいくらでもクズになってやる。そういう覚悟の下で、僕は人と付き合うことにしたのだ。
全てを最初から悲観的に見ることで、すべてがどうでもよくなる。嫌われることがリスクでなくなっていくのだ。
もう人から好かれることや、人を大事にすることを大切なこととして見ずに、すべてを最初から諦めてしまう。僕はただ、思考停止で「僕」であり続けるのみ。
僕はもう、夢を見ることに疲れたんだ。
何やっても上手く行かないんなら、それを前提に動いてやる。
人に気に入られるより、良い関係を築けそうな人と巡り合うために、自暴自棄の当たり屋となった方が自分にとってメリットが大きいんじゃないかってね。
それにね。僕はもう・・・・・・心無い世界に、疲れちゃったんだ。世界は僕を愛してくれない。いや、僕は元々人に好かれるような人間ではなかったのだ。
それが何故かは分からない。分からないから、たぶん人は僕に厳しいのだ。やっぱり僕は、普通じゃない。それは自分でも、よく分かっているから。
本当は、普通の人間になりたかった。もう少し、まともな会話ができるような人間でありたかった。
でも、僕にはどうしたらいいか分からなかった。
もう、わからないから、いいよ。僕は大多数には愛されない。それで終わらせればよかったんだ。
いくら僕が友達を欲しても出来ないのであれば、巡り合うまで自暴自棄になるのみ。どうせ誰も救ってくれないのなら、僕は最初から期待しないよ。
耐え偲んだのに、変なとこに配属されるほどに運がない僕のことだ。もう何やって無駄なんだろう。もう、気にしないことにした。僕は寂しい人なのだ。でも、最初から嫌われる前提でいれば、なんだってできる気がする。
そういう心の逃げ場所を作ることで、僕は夢を捨てることにした。誰も僕を、愛してはくれないんだから。