何度か言っていますけど、この日記は2007年、つまり僕が中学三年生の時から書かれてて、あと一ヶ月半もすれば
10周年を迎えることになります。
※ちなみに「このwebサイト自体」は2005年2月14日開設なので、明後日に12周年になります。
※2007年4月1日の記事。この日記の原点です。この「日記を続ける覚悟」に関してもそのうち書こうと思っている。
そして、キリ良く10周年という区切りと、
「学生時代」が終わるということで、僕が今まで歩んできた人生の振り返りを、日記という形で1月あたりから定期的に振り返っています。
書くことがあまりない日常を送っているのもありますし、連日のようにこのような記事を書くのもそれはそれで違うなということで、書きたくなった時に、
「僕の学生時代」という話をこうやってしようと思っておる次第なのです。(笑)
この類の話はそのうち3月末にまとめるつもりなんですけどね。特に書くべきネタなんかはまとめてないのですが、この日記についての話と、ヴィオラについての話ぐらいはさすがに取り上げたいなと思っています。
まぁまだ恋人関係の話残ってるんですけどね・・・・・・。
とりあえず、ざっと5,6個ぐらい特筆すべきテーマがあるので、お付き合いいただければ幸いです(笑)
ということで、今日のテーマは
僕がガチコミュ障だった過去の話をしようかなと思います。
もう昔のことなんて全然覚えてはいないのですが、僕はコミュ障でした。小学生時代は、友達は数少ないながらもいたのですが、まぁ・・・・・・あらゆる面で受動的だった気がします。
それに、当時の僕は様々な奇行を働いていました。ものすごくキャパの広い人以外からはきっと疎まれていたのかも知れません。ま、その辺の小学生時代の話を先にすべきだったと思うんですが、これはまたの機会にしましょう。(笑)
中学に入っても、受け身な姿勢はあまり変わらなかった気がします。
もちろん、部活には入っていたので部活仲間とはそれなりに交流がありましたし、遊びに行ったりはしていました。塾に行き初めてからは、コミュ力の高い子達のお陰で輪には入れてもらえてた気がしますが、今にして思えば「構ってもらっていただけ」な気もしなくもないですね。自分から話しかけたことって、なかったかも知れない。
まぁ、程度がどうあれ、コミュ障だった気がします。人との接し方が分からなかった。
まず、そもそもの問題として僕は「人と話すこと」そのものが苦手だった。
だけど、話すこともできないから練習もできやしない。だから、中学時代にやったことといえば
チャットで人間とのコミュニケーション力を磨くということでした。
インターネット上なら、失敗してもリスクはそんなにないし、文章を考える時間もそこそこある。そうして僕は、人との会話方法を学ぶためにチャットに入り浸るようになったのです。ま、この話は
このサイトのメインコンテンツが「チャット」だった時代の話につながっていくんですけどね。
もうひとつ、当時僕は後輩の女の子に恋をしていました。振り向いてもらうには喋るしかないです。僕は必死に色々話しかけたりしましたっけね。
ちなみに、この過程で持病であった鼻炎を
根性のゴリ押しで治した話もあります(笑)この話は、さっきちょろっと取り上げた僕の「奇行」の話と一緒にするつもりなのでここではカットします笑
人に自分から(積極的に)話しかけるといった経験は、たぶんこの時が初めてだったかも知れない。
ま、もちろん話しかけるだけでレディーと落とせるはずもなく、特に何もないまま終わったんですけどね。
ちなみに、帰省した際に彼女に会ったら見事にビッチ化しててウケました あぶねー・・・・・・
その努力の甲斐もあって、多少は人と喋れるようになったいった気がします。
そして、僕は華々しく高校デビューを飾るつもりでいた。
でも、それが上手くいかなかった。
最初は上手く行ってた気がする。積極的に人に話しかけて、クラスメイトとも会話ができるようになっていた。大きな進歩です。
ただ、時間が経てば経つほど、僕は何を話せばいいのか分からなくなっていた。
そう。中学の部活で嫌気が差していたため、僕は部活に入っていなかったのだが、おかげで人との共通の話題がまるでなかったのだ。
次第に口数が減っていき、友達と呼べる人間も殆どいなかった。絡んでくれる子はいたけど、やっぱり僕は「その他の友人」でしかなかった。それに、僕自身も積極的に提供できる話題がなかった。
一方、僕は東進に通っていたのだが、そちらではそこそこ皆と仲良くやれた気がする。大学を卒業してからも、一度そこで仲良く女の子と遊びに行ったこともあるぐらいには。
やっぱり帰属意識みたいなのって大事なのかな。それでも、そこまで積極的に僕は話しかけられた記憶はないんだけどね。正直、皆の優しさに救われてたなって今では思っているんだけどね。
そして大学に入った。
さすがに、中学時代に「人間と話せないこと」を克服し、高校時代にある程度人と話す機会を作ってもらえており、僕はもうコミュ障じゃないと思っていた。
だが、大学には中高と仲間でいてくれた人ももうおらず、周囲のキャラクターもそれまでとは全く違っており、僕の性格とは馴染まないものだった。
もちろん、僕も最初は必死になったので、学科の友達とかもできはした。
でも、今にして思えば正直「授業でよく会って、話せるだけの知人」だった気もするな。その原因は明らかに、僕自身のコミュニケーション能力不足だ。
オケの同期なんかとは、性格が馴染む気がしなくて、一切仲良くしようとしなかった。
ちなみに、残念ながらこの時の影響は未だに続いてます。
とある同期の女の子に焦点を当てた話をしましたが、そのうちこのオケの同期達と僕の距離が遠くなってしまった話もしたいと思っています。つまり、僕がコミュ障だった話には続きがあるわけですが、この件に関してもまた別の機会でとりあげます。反省の話と謝罪の話は分けなくてはいけませんからね(笑)(笑)
要するに、僕は自覚していなかったが、コミュニケーション能力に難があったのだ。
自分から皆と仲良くしようとする努力もせずに、皆から愛されることを期待していた。そして、運の悪いことに、それで今まで上手く行ってたせいで、自分がいかにコミュ障であったかに気づく機会を失っていたのだ。
好きな人に拒絶され、ついに自分に問題があることを自覚し、それを改善するために色々と自分の価値観を見つめ直すことになったのだ。
ただ、実際に価値観を変えて、人のことを受け入れようと決意したところで、具体的にどうすることもできないんですよねこれが。
言うて自分はコミュ障で、会話はそんなに上手くない。人に積極的に話しかける勇気って、実はそんなになかった。
そんな自分を大きく変えたのは、紛れもなく
ヒッチハイク旅行の経験でした。
今にして思えば、コミュ障なの自覚しといてよくこんなもんする気になったなって感じなんですけどね。
恐怖より好奇心が勝って後悔する典型例ですね。
コミュ障だから勇気も出せず、初日を棒に振り、腹をくくって2日目にやってみたら
なんかやったら乗れちゃったって感じで旅行がスタートしてしまい、そのまま勢いでいい感じに進んでしまったものの、
ハイ状態が解除されて夜、路上で棒立ちになるという経験をしました。
これが東京であれば「もう僕には向いてなかったんだ、帰ろ・・・・・・」って言えたんですが、下手に宇都宮なんかに来てしまったせいで帰るわけにもいかず、かといってこんなとこでボードを掲げる勇気も出ず、僕はどうしたらいいんだ・・・・・・とお通夜モードで道を歩いていました。
とりあえず、近いICまで歩いてみるかと7kmほどの道を歩きながら、後悔したのを覚えています。
ICまでの距離は長く、少なくとも歩くような距離でもないのですが、車を捕まえる勇気もなく、かといって途中で途方もない距離を歩くことに対する絶望感と戦うことになりました。
その時、僕は悩み抜いた末、レポートでも書きましたとおり
「やらないで後悔するなら、やって後悔した方がマシだ」と思うことになったのです。
やらないで後悔するものはいつまでも尾を引きますが、失敗した経験というのはフィードバックがあるものです。僕の人生は思えばいつもそればかりだった。
こんなところでうじうじしていても始まらない。とにかく、やらなくては。どうせこんなところで縮こまっていても先に進めないのは分かってるし、そもそも
車捕まえなきゃ帰れないしな。
宇都宮のこのスタバから、路上でずっと指を掲げている僕を見かねて拾ってくれたギャルっぽいカップルのお二人のことは、僕は未だに忘れられずにいます。(笑)
僕は自分の人生のターニングポイントを挙げるとすれば、間違いなくここを挙げます。
緊張するような場面とか、一歩を踏み出せずにいる時は必ずこの景色を思い出し、
あのヒッチハイクを乗り越えた俺に、勇気がないはずがない!と奮い立たせるのが癖になっております。(笑)
僕自身の価値観を大きく変えた旅行から帰ってきてから、僕のコミュニケーションのとり方は徐々に変化を見せていきました。
例えば、初めましての人に話しかける際、たぶん、今までだったらだいぶ様子を見てたと思うんですけど、話しかけられずに後悔するぐらいならいっそ話しかけてしまえ!!と勢いがつくようになりました。
そしてさらに、先述した同期とのトラブルのこともあり、結局
「人と仲良くするには、まず自分が心をオープンにするべきだ!!」と思うようになり、結果生まれたのが、今の僕のような
初対面でノーガードで突っ込んでくる交通事故人間というわけですね(笑)(笑)
昔のことって、日記に書いてはいるものの実はあまりよく思い出せなくて、人に積極的に話しかけることを意識し始めてもあまり上手くいかないことも多かったです。
話すこともないのに無理して話しかけた結果、自爆してしまうことも多かった気がします。でも、それはそれでいいのです。必要な犠牲なのです(笑)
大学生として過ごしたこの数年間で、人と話すことにも慣れ、もうコミュニケーションで物怖じすることがいつしかなくなっていきました。
もちろん、話下手なのは相変わらずで、正直お世辞にも話が上手いとは言えないです。万人受けしないのも自覚があります。
でも、それはそれで僕の個性として、仕方ないものだと受け入れることにしました。僕には自分の性格を取り繕ったり、話を取捨選択できるほどの余裕が持てない。だったら、もう全てあけっぴろげにしてしまった方が良いのではないかと。そう思うようになっていきました。
話すことがないなら、それすら「話すことないねーwwwwいやぁボク口下手でさーwwwww」と茶化して逃げていればいいのです。まぁ、無理に会話を続ける必要もないですしね。それで良いのです。
自分の心をあけっぴろげにする
ある種の悪い癖は、僕のコミュ障だった過去も大きく影響しています。
というのも、なぜ人に話しかけられないかというと
「相手が何を考えているか分からなくて警戒してしまう」ということが多いのです。
もしかしてそんなに自分のことが好きではないのかも知れないなどと余計な心配をしてしまいます。
でも、そんな消極的なこと考えていても仕方がないのです。
だったら僕がやることは一つです。
とにかく、相手の不安を取り除くようなキャラクターを目指すべきだと。
とにかく表裏がないように見せかけ、こいつには何を言っても大丈夫そうだなという油断をとにかく与える努力をするのです。相手に「言葉を選ぶ」という労力を強いず、むしろ潤滑油となる「冗談」を言いやすくするのです。
まぁ、その弊害として自虐に頼りすぎるのが欠点なのは自覚してるんですけど(笑)
「こいつに何を言ってもいいんだ」と思わせることで、こちらが不愉快な思いをする可能性も、確かにあります。
でも、良識的な価値観を持っていたら、進んで相手を不快にさせるようなことって言わないんですよ。あるいは、僕が常日頃気をつけていることなんですけど
「冗談を冗談だとわかりやすくする工夫」を普通の人ならするんですよ。
しない人(察してちゃん)も割といるんですけどね。たまに傷つきながら、言葉通りに飲み込まない努力をしています(笑)
でも、そういう「普通じゃない人」と付き合ってても実際疲れるだけですし、自分と合わなければ距離を置けばいいだけの話です。
それはお互い様だと思います。僕の性格が受け付けない人もいると思いますし、実際そうなんだろうなと思う節もありますね。
でも、仲良くやっていける人の方が圧倒的に多いですし、僕は自分が間違っているとは思いません。
どうしても上手くやっていけない組み合わせというのは往々にしてありますし、世界中すべての人間と仲良くできないことは既に証明されていることです(笑)
そんな中でも、かつての僕のように第一印象で切り捨てず、もう少しお互いに知る努力をしてから、そういう判断はすべきなのです。
そう、僕は怖い人じゃないはずだ。だから、僕と話そうよ。
僕は嘘をつかないから、君も心を開いて話を聞かせてくれ。
そういうスタンスで、僕は人とコミュニケーションを取ることにした。
それが、人と上手く付き合っていけなかった人間が、20年かけて積み重ねてきた結果なのである。
さて、今の自分は上手くやっていけているだろうか。その答えは誰も教えてはくれない。
でも、少しでも、相手がうまく話しかけやすくする工夫ができたらいいなと、それは未だに思っていたりはする。
まだ怖いか。ならば、僕が話しかけてやるよ。君はなにも気にしなくていいのだ、と。(笑)