本来これは昨日書こうと思っていたんですが、日記として使えるネタがあったため、今日にしました。
ということで、年度の上半期が終わったので、ちょっと振り返ってみよっかなって。
とはいえ、
旅行レポでも振り返りましたし、また振り返るのかって感じですけど、まぁ日記としてもちょろっと書いとこっかなって。ほぼ同じ内容の繰り返しになりますけどね。
ただ、それだけこの上半期は僕の人生にとって、たぶん最も大きいターニングポイントになってると思うんですよ。
この半年で、僕は色んなことを知りました。
年末に彼女と別れ、それから数ヶ月ずっとあれこれ過去と未来に関して考えを巡らせ、自分がいかに男としてダメだったかを思い知った。
誰もいない研究室で、人は一人で生きてはいけないことを知った。心なんて簡単に壊れること、そして、支えてくれる人の大切さ。そして、"当たり前"を享受できる幸せも。
僕はあのまま大学院を辞めず、頑張っていたら今の自分はたぶんないです。今ニートだからこそ、こうやって自由に時間を使えるわけで。借金して過ごしている現状ですけど、前借りする価値は充分にあると思ってあまり気にせず使っています。
それだけ、僕にとって人との対話には価値があるのです。普通の人生歩んでたら気づくことはなかったでしょう。
だから僕は、なるべく人を大切にしたいなとも思いますし、自分のような辛い思いをしてる人がいたら、出来る限り傍に居てあげたい、あるいは、居て欲しいと思ってもらえるような人になりたいなぁとは思っています。
もちろん、押し売りはしないつもりですけどね。ただ、自分が喉から手が出るほど"理解してくれる人"を欲しがっていた時期があったので、そういう支えにいつか、誰かのためになってあげられたらなみたいなのは思ってはいます。
日記にはあまり自分の感情は書かないようにしていたのですが、ちょいちょい絶望は滲み出ていると思います。
とりあえず、日記を読みながら4月から9月まで、振り返ってみましょうかね。
書いているうちにクッソ長くなっちゃったので(笑)今回は4月~6月の前半部分・・・・・・要するに、就活を始める前の、僕が鬱病状態になってた頃の話になるのかな。ちろっと振り返りましょ。(笑)
・4月 - 新しいレールへ。
後輩に誘われてパーティに行くところから始まりましたね。
この時点で既に孤独に心を蝕まれていたのですが、こうして新しい出会いを得る手段を知ろうとしたりしてもがいてましたね。
バイトの面接とか受けたり、twitterで知り合った方の定演を聞きに行ったり、インターンに応募してみたり、社会人オケに入ってみたり・・・・・・思えばいろいろ試してますね。まぁどれも自分の悩みを解決できなかったんですけどね。
まぁ、そこで僕は次第に
「友達」を作るには、やはり日常的に会う、会える人じゃないと無理だ・・・・・・と思うようになります。
実際、パーティにて見ず知らずの人に積極的に絡みに行くことはできました。2度のヒッチハイクで身につけた度胸です。話しかけずに後悔するぐらいなら、話しかけて失敗した方がマシなのです。
でも、そこから先につなげる手段を僕は知らない。もちろん、知り合った人とご飯行ったりはしました。言うて僕は男ウケいいんで。(笑)(笑)
ただ、僕が求めるのは「人間関係」ではなく「ありきたりな友達」であることに気づくことになるのです。僕は、世間話をしたい。みんなが当たり前に享受している、日常が欲しいのだ。それがないから、常に泣きそうだったのだ。
・5月 - 闇の終わり。
1つの転機となったのは5月かなとも思います。
僕は自分の孤独をどう潤すか考え、4月のはじめ辺りからほぼ放置気味だったtwitterアカウントを再始動させたんですよね。
昨年と見比べたらわかります。もう殆ど使ってなかったんですよね。
4月からツイート数が跳ね上がってますが、このアカウントを使ってなんとしてでも人間関係を作らなきゃと思って、また使い始めたんですよね。
そして、
静岡旅行の話につながっていくんですね。
ここでの成功体験というか、ちゃんと僕と会って話してくれる人はいるんだ、って思えたことで、少しは気が楽になったかなとも思います。
オンラインには色んな人がいることも知ってますし、会ってくれる人もいることは過去が証明しています。なので、twitterで近くに住んでいる人と友達になれれば、僕の悩みは解決するんじゃないかなって思うようになっていったわけですね。
あとアレです。
ふともも展ですね。
あんなの見たせいで僕は脚フェチに・・・・・・
・6月 - 孤独を超えろ。
冗談抜きに、一番つらかった時期です。あまりにもつらすぎて、最終的に中退して就活するのを月の最後に決めたんですよね。精神の崩壊する音が聞こえたので。月の最後はシリアス記事ばっかですもんね。(笑)
この月のはじめは、まだ期待に満ちあふれていました。twitterつながりで、会ってくれる人とも巡り会えました。幸せでした。
でも、足りなかった。満足できなかった。やっぱり、それは友達じゃない。日常じゃない。
定期的に会わないと、話したい話を抱えるストレスを発散できない。誰にも会わない日が何日も続いて、僕は何を楽しみに生きていけばいいかわからなかった。
2年間我慢すればいいのは知っていた。このどうしようもない環境さえ抜け出せれば、僕はそんなにコミュ力には自信がないこともなかったので、なんとかする自信はさすがにあった。
でも、2年間、毎晩夜に一人でいると襲ってくる寂しさと不満足感、そして普段普通に生きてても、ずっと目頭が熱くて誰かに優しくされたらたぶん泣いちゃうだろうなって感覚がずっとあった。
彼女を探そうかとも悩んだ。恋人さえいれば、僕の悩みは全て解決する。僕の悩みも受け入れてくれる存在であるはずだから。
でも、やっぱりそれはできなかった。恋人を目的とするのは、どうしてもプライドが許さなかった。仮に相手が見つかったとして、僕はそれで幸せかもしれない。でも相手はどうだ?それで相手は幸せと言えるのか?
僕には、そんなひどいことをする勇気がなかった。自分が突き放される痛みを知っているのに、それを相手にするのは悲しくてできやしない。
それに、僕は、相手のことをずっと想う恋愛をしなきゃと覚悟したのだ。相手の幸せだけを願える男であるべきだったと、後悔してるのだ。
でも、それと真反対のことをするなんて、やっぱり自分では許されないことだ。人を悲しませるぐらいだったら、僕が我慢した方がマシだと思った。
だって、恋人を作るために付き合うって、それは「君が好きだから付き合いたい」っていう気持ちじゃ、ないだろ?
そんなの、いつか破綻する。お互いにそう強く思い合えない恋愛なんて、恋ではあるかも知れないが、愛とは言えない。僕はそんなつまらない関係、欲しくないよ。だって、いつか終わっちゃうんだもん。
僕は、もう誰とも別れたくない。別れるぐらいなら、付き合いたくもないな。
それでも、耐えきれなくなった。研究も、別にやりたい研究じゃなくて、受け皿に飛ばされただけだったから、モチベがなかった。
頑張ろうと思ったんですけど、不意に
「僕はなんのために研究しているんだろう?」って思ってしまった。就職のためだと割り切っていたのだが、研究を共有する相手がいなかったから、何のためにやってるのかが本当に見えなくなった。
ここで、同期、後輩、先輩、なんでもよかった。誰かいたらよかった。でも、いないから僕はつまらなかったし苦しかった。この研究室で何をしているのか、僕自身もわからなくなった。そして、冷静に考えても、あの研究室で得られるものなんて何もない。卒論だって、自分で言うのもなんだが、論文の形をしたおままごとだってわかってた。
意味のないことをやっているのをわかった上で、それでも就職のためにとりあえず学歴だけは作っとかなきゃなとごまかしごまかしやってたのだ。でも、その無意味なことをやろうと思える精神状態でもなくなり、僕の心の方が折れてしまった。
研究ももう、やりたくない。何が楽しいのか、わからない。僕がこんなことをしたくてこの学科に入ったわけじゃない。僕は、コンピューターを取り扱いたいんだ。言語学をやりにきたわけじゃない。
そして、
6月27日ですかね。僕はもう、こんな生活を2年間続けていたら、身体の方がおかしくなることを確信しました。
既に頭痛とかを感じ始めるようになり、感情の波も激しく、完全にうつ病患者でした。リスクは承知の上でしたが、この生活を我慢するよりかはフリーターの方がマシだと本気で思いました。僕は人に会いたい。人と喋りたい。
当時はほんとに辛かったです。鬱病ってこんな感じをもっとひどくした感じなんだろうかって思ってます。自分ひとりじゃ絶対に抗えないです。
ただ、辞めてやると決意してからは、ちょっと心が軽くなった気がしたなぁ。
ここから僕はようやく光を見て生活できるようになっていくわけですね。そのあたり、つまり7月~9月に関しては4日に書く予定です。(笑)